第3回全体研究会の報告

GCOE「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」第三回全体研究会「戦後日本におけるジェンダーとセクシュアリティの歴史研究へ向けて」を開催いたしました。期間は2009年7月3日金曜日の15時から17時まで、場所は京都大学百周年時計台記念館2階会議室3です。

  この全体研究会は、本GCOEプログラムが年に数回開催する大規模な研究会ですが、第三回は歴史研究班が担当することになりました。現在、歴史研究班では 「戦後日本におけるジェンダーとセクシュアリティの歴史研究」というテーマの共同研究を計画しています。この全体研究会は、その問題関心の一端を知ってい ただくために、開催されました。
報告1では、今田絵里香(京都大学文学研究科)が、「戦後日本の少女雑誌文化における異性愛主義の誕生――少女雑誌『ひまわり』と『ジュニアそれいゆ』の 比較から」というタイトルで報告しました。本報告は1950年代、60年代に形作られた子どもを巡るジェンダー秩序を解き明かすことを目的としています が、その方法として、戦後の少女雑誌文化が、戦前の「エス」文化(少女同士の親密な関係を重視する文化)から、異性愛文化に移行していくプロセスを明らかにしました。本報告では、1950年代に栄華を極めた代表的な少女雑誌『ひまわり』と『ジュニアそれいゆ』を比較し、1947~1952年の『ひまわり』 と1953年~1960年の『ジュニアそれいゆ』では、異性、及び異性愛の取り扱いに大きな違いがあることを指摘しました。両雑誌は中原淳一の強力なリー ダーシップによって創刊された雑誌ですが、『ひまわり』よりも後に創刊された『ジュニアそれいゆ』のほうが、異性、及び異性愛を頻繁に掲載するようになっ たことが明らかになりました。
報告2では、小山静子氏(京都大学人間・環境学研究科)によって、「女子学生亡国論が提起したもの――高等教育とジェンダー」というタイトルの報告が行わ れました。本報告では、戦後教育においてジェンダーはどのように構築されていったのか、そのありようを考えていくための一つの重要な材料として、女子学生 亡国論が取り上げられました。氏は、戦後、制度としては男女平等の教育が行われつつ、実際は男女で異なるライフコースが存在していたことを指摘します。こ のような「平等」と「差異」のなかで、高等教育を受ける女子学生は増加していきましたが、そこで高等教育とジェンダーの問題を俎上にあげたのが女子大学無 用論、及び女子学生亡国論であったとします。この女子学生無用論、及び女子学生亡国論のロジックを見ていくと、そこには、4年制の共学大学(男子を「標 準」とする「本来」の大学)――4年制の女子大学――2年制の(女子)短期大学、という高等教育の序列構造とジェンダー秩序が見られるという、重要な指摘 がなされました。
報告の後、ディスカッションが行われました。会場は30人収容の会議室でしたが、25人前後が来場され、活発な議論が繰り広げられました。少女雑誌の読者 が雑誌をどう読んでいたか、1950年代、60年代の女子大学ではどのような教育が行われていたのかなど、重要な論点が出されました。また、1950年 代、60年代を扱う意義についても議論がなされ、小山静子氏から、社会学が現代を扱い、歴史学は敗戦までを扱うという、現在の研究の在り方を見直すこと、 そして一種の空白部分となっている戦後の時期を扱うことの重要さが指摘されました。
全体研究会の終了後、共同研究「戦後日本におけるジェンダーとセクシュアリティの歴史研究」についての具体的な話し合いが行われました。今田絵里香から共 同研究の説明を行った後、集まっていただいた方々に、自己紹介と、どのように共同研究に関わっていくかということを話していただきました。(報告:今田絵 里香〔本GCOE特定助教〕)
 

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